池田市 石橋 鼻 胃カメラ つじ医院

池田市 石橋
内科・循環器科・呼吸器科・消化器科・皮膚科

つ じ 医 院
TEL 072-763−5888

自己紹介

〜医者になった私の原点〜

小学校の頃、担任の先生よりいただいたニックネームは、その当時流行した丸大ハムのコマーシャル「わんぱくでもいい。たくましく育ってほしい。丸大ハム・・・」よりの「わんぱく」でありました。

「ボキッ」激痛!
「わんぱく」の名前に負けず、春の卒業日、先生より「4年生は自宅学習をするように」と言われていたにもかかわらず悪友と外に行き、当時ドッジボールの個人版の「三歩当て」をしていました。(「三歩当て」を初めて聴かれた方は、辻まで言って下さい。)
その時です。ボールに足が引っかかり、手をついて倒れ「ボキッ」という鈍い音がしました。

「ヒーロー」
痛くて痛くて動けなかった私を、母は病院へ連れていってくれました。
自転車の2人乗りでしたので、振動でとっても痛かったです。
病院に着くと直ぐレントゲン検査で右手首の骨折が判明。
それも2本とも折れており、1本は少しずれていました。
その時どこからともなく現れた白衣をまとった先生が私の鎖骨付近に注射をしてくれました。
すると瞬く間に痛みがとれて、痛みで苦しんでいた私を救ってくれました。
その男性がヒーローに見えました。

「感謝」
その後レントゲンを見ながら、真っ直ぐに骨を直してくれて後遺症なく現在に至っております。
ちなみにその当時は今のようなギブスはなく、石膏を包帯に混ぜたもので子供にとっては非常に重い物でした。
医者になったあとわかったのですが、全く元通りに治すことは難しい事であり、利き腕である右手に機能障害があれば、医者としての仕事に携わることは出来なかったかもしれません。感謝。

「不思議」
「わんぱく」の異名をとった私も、さすがにしばらくはおとなしくせざるをえない状況となり、なぜ鎖骨のところに注射して手首の痛みがとれたのか不思議に思い、家の本棚に眠っていた子供用辞典で、人体のページを読む様になりました。
内容は全く理解できなかったのですが、人体の図などながめていました。(この本を見てみたい方は辻まで。)

今考えれば、あの時が今の私の原点であったのかもしれません。

「医者として当たり前のこと」
あの痛みは今でも忘れられず、治療というのは、どうしても痛みを伴うことが多いのも事実です。
それでも出来るだけ苦痛を和らげる方法がないのか、工夫しそれを第一に考え、診療をしてまいりました。
これからもそうしていくつもりです。
基本は、『自分や身内にされて嫌な事は他人には決してしない』という当たり前のことを実行していくことです。

「偶然」
ずいぶん後でわかった事ですが、その時のヒーローに見えた先生は私が研修医時代にお世話になった指導医の父上様でありました。
もう一度感謝。


〜開業医になったわけ〜

ここでは私が開業を意識し始めるキッカケになった事を書いていきます。

「不安を感じたことはありませんか?」
第1番に、私たちは大学病院の医局制度の中、いろいろな関連病院内で移動があり、私たちの意志とは関係なく人事は決まっていきます。
毎年4月に入ると市民病院などの担当医が突然変わっていて、不安を感じたことはありませんでしたか?
そのため地域に根ざした落ち着いた医療をしていきたいと考えていた私は、地域皆様の健康を担う開業医になりたいと考えるようになっていきました。

「断られる事」
第2番に、大病院には診察時間内は様々な専門医がいます。
例えば、内科だけでも呼吸器科・循環器科・消化器科・肝胆膵科・血液科・内分泌科・、脳神経科・腎臓科・膠原病科などに分かれています。
紹介状なしで外来受診する際、いったいどこに行けば良いか自分でわかる方はどの位おられるでしょうか?
しかし、夜間は当直医のみで医師の数が限られており、また当直医だけでは手に負えない患者様が来られることもあるわけです。
そのため専門医がいないと断られる事があり得るのです。

「命」
ある深夜、とある患者様が救急車で搬送されてきました。
専門的な処置・手術が今すぐ必要となり、担当の当直医が呼ばれましたが、まだ新米で自分で行うだけの経験がありませんでした。
自分の上司を呼ぶのに約1時間かかり、おまけにその患者様の血液型はRHマイナスでした。
その時、たまたま救急外来に居合わせた私は、まだその病院に赴任して間もない時でした。
その当時、私は医師としてキャリア約10年、他の病院でその処置・手術を十分経験していました。が、残念なことにその病院ではその科所属ではありませんでした。
その新米君は顔見知りで、私に相談をしてきました。
緊急性を要すると判断した私は、その治療を行いました。
もちろん上司には新米クンより事前に電話連絡はしていました。
幸い治療は無事成功し、患者様の命に助かりました。
ところが後日、上司から呼び出された私は厳重注意を受けました。なぜだと思いますか?
そうです。「自分の専門科外の事を行って、なにかあったらどうするのか?」というお叱りです。
昼間でしたら、経験十分な専門医が何人もいますので、他科の医師がその様なことをする事は絶対に有り得ません。
上司の言うことも頭では理解できるのですが、納得できませんでした。
よく似た事が他にも数回あり、今の環境では自分が理想とする医療とはほど遠いと感じるようになりました。

「モットー」
私のモットーは当たり前の事ですが、『患者様は自分の身内と同然と思い、自分や身内にされてはいやなことは決してしないこと』。
注射ひとつとっても、患者様は痛みを我慢してくださっているのです。
ちょっとした事ですが、その痛みを和らげることは出来ると考え、実践しています。
ワクチン接種で子供さんから「前の先生より痛くない」と言われると、「よっしゃ」という気になるのは私だけでしょうか? 実際その様な声をいただいた事はあります。ちょっと自慢です。 しかし、このごく当たり前の事がいったいどれ程の医療従事者が実践できているでしょうか? 人の苦しみ、痛みに対して鈍感になっていないでしょうか?少し熱くなってしまいましたが、参院選に出馬するわけではありません。

開業するにはどういうことが必要か? など今まで経験したことのない事の方が多いぐらいでしたので、そう簡単には達成できません。それを少しずつ学んでまいり今度いよいよこの地、石橋4丁目20−8で開院する運びとなりました。

「石橋」
最後にこの石橋という場所をなぜ選んだかといいますと、皆様、私の出身地の八尾市をご存知でしょうか?
何人かの方にはお話しましたが、八尾は中河内の中心に位置し、いわゆるド下町です。
なによりも商店街が大好きな私は子供の頃より母親と買い物に行くたびに「肉屋さんの揚げたてコロッケ」を紙に包んでもらい、その場で食べておりました。
そのためこんなに大きく成長してしまいました。今でも思わず買いそうになるのですが、恥ずかしいので我慢しております。
いつまで我慢できるかは自信ありませんが・・・。

そうなんです。私は、この町並みに勝手に一目ぼれしたのです。
時間のある時は商店街や石橋や住吉などの路地を散策しております。
うろうろしていても不審者ではありませんので、見かけたら声をかけてください。
いろいろ、取り留めのない話を書きましたが、末永く長い目で平田内科、細川内科時代同様、開院したつじ医院を見守っていただける様スタッフ一同これからも宜しくお願い申し上げます。